まず、大きな括りとして、子育てに「べき論」は一切不要だと思います。
べき論です、べき論。
「子育ては〜〜であるべき」
「食事は〜〜であるべき」
「母は〜〜であるべき」
一切不要だなと思います。
そう考えると、このブログも、僕の「べき論」かもしれません。
ですので、この内容も、真正面から受け止めず、自分なりに上手いこと解釈していただければなと思います。
外野からの「べき論」が親を苦しめる
なぜべき論が不要だと思うかと言うと、子育て中の親を苦しめるものは、概して外野からのべき論であることが多いと、子育て中の僕が実感するからです。
我が家は現在5歳と4歳の息子2人。
うるさすぎて耳がもげます。
妻とは北新地のクラブで出会いました。
「写真を撮って」と言われたので、撮ったら、「私を撮っていないからダメ」と言われました。
僕「・・・」
あと、ハスキー2匹とチワックスを1匹飼っています。
家族構成からも今日のお話が単なる机上の空論ではないことがご理解いただけるかと思います。
僕は日々耳の痛さと戦っています。
ちなみに、これは、冗談ではありません。
耳の痛さ=騒音や自分にとって不快だと思う音、声というのは人間にとって凄くストレスになります。
ですので、耳が休まっていない状態というのはあまりよくありません。
僕は耳を休ませたいから森に行きたい。
それはさておき、そうです、子育てに「べき論」は不要です。
考えてみてください?
僕たちの親世代が言うこと、それって何十年前のことですか?
そもそも、価値観が全然違うじゃないですか。
よくある、
「母はこうあるべき」
など。
いやぁ、別に、そんなこたぁおれにとってはどうでもいいよ。
「べき論」に苦しめられる人は概して母親です。
自分の親、夫の親、そういった外野からの意見で苦しみます。
そしてその苦しみは家庭内に向きます。
僕からすると、そんなことどうだっていいから、まずあなたが穏便に過ごしてくださいよ、という感じです。
もうちょっと具体的に述べていきます。
負担になるなら手作り料理は不要
まず、食事。
手作り料理なんて、作らなくたっていいです。
手作り料理必要説、僕にとっては不要です。
だって、別に、手作り料理じゃなくたって、十分な食事、摂れるじゃないですか。
いや、料理をするのが好きな人ならいいですよ。
でも、それは得意不得意、興味関心の話です。
料理をすることが負担になるなら、一切しなくていいです。
我が家は一切料理をしません。
全部、スーパーで買います。
それで親が非難される要素は僕はないと考えています。
料理が負荷になるなら、捨ててしまいましょう。
大事なことは、「何をするか?」ではなく、「何をしないか?」です。
我が家は、「負担になりつつ料理をする」ではなく、「料理をしない」に舵を切りました。
現状、快適です。
将来のことは、まだわかりません。
予定は未定です。
次。
テレビは不要、捨ててしまおう
テレビは不要だと思います。
我が家はもう2年以上テレビなし生活を送っています。
いらないと思う理由は、それは外野の「べき論」があまりにも入ってきやすいツールだからです。
テレビって、基本的に、「都合の悪い情報」を与えることによって儲けるビジネスモデルですよね?
なぜ「都合の悪い情報」を与える方がいいのかというと、人は「ストレスを感じた時」こそ行動する生き物だからです。
なぜ「ストレスを感じる状態」にする必要があるのかというと、広告を出している「広告主の満足度」を上げたいからですよね。
なぜ「広告主の満足度」を上げたいのかというと、「儲けるため」ですよね。
「儲けるため」には・・・
という感じで永遠に続きます。
こんなスパイラルに自ら巻き込まれるためにテレビを置く必要性・・・
全く感じません。
あと、テレビって高いですよね?
それに加え、我が家は戸建てなのですが、戸建てってテレビだけがあっても映らないんですよ。
皆さん、ご存知ですか?
戸建てってテレビと家にあるこの部分にケーブルを繋いでもテレビつかないんですよ。
え、これって常識ですか?笑
マンションで過ごした方からするとビックリですよね?笑
え、僕だけですか?ビックリしたの?笑
テレビを見るために、わざわざ高いテレビを買い、Jコムとか?を契約し、もしくはアンテナを立て、そしてうっとおしいNHKの対応をする。
意味ありますか?
しかも、テレビで流される情報の質の低さ。
テレビが必要な人って、「うちで映画見ようや?(ドヤ)」って女の子を家に誘う1人暮らしのメンズだけですよね?
家に誘うためのツールとしてテレビを使う、それだけです。
家族がいるなら、家には女の子呼びませんよね?笑
ですから、いりません。
女性目線は、僕にはわかりません。笑
次。
子育てで「比較」は絶対に捨てるべき
子育てにおいて「比較」はいらないですね。
これが最もいらないと言っても過言ではないと思います。
「比較」程子育てを不幸にするものはないですよ。
・クラスの中で身長が◯番目だ
・◯◯君のところは◯◯を食べている
・◯◯君はめちゃくちゃ喋れるのに我が子はまだ喋れない
いや、もう、そんなこと、どうだっていいですよ。
これはね、もう、自分と自分の子供を不幸にする元凶ですよ。
「比較」これ程不要なものはありません。
もし自分や自分のパートナーがすぐに比較をしてしまう体質なら、このブログを見せてあげてください。
比較は自分を不幸にしますよ。
だって、考えてみてください。
今はどんな時代ですか?
人と違うことが恥ずかしい時代ですか?
劣っていることが恥ずかしい時代ですか?
僕は全く違うと思います。
だって、ちょっとインスタやYouTubeを見てみてくださいよ。
脱毛をした、整形をした、その他諸々、今まで「したことが恥ずかしかったこと」が「したことがかっこいいこと」に変わっているじゃないですか。
じゃなきゃなんであんなにも「顔面整形」をわざわ公表して興味を惹きつけますか?笑
今は「できないこと」がかっこ悪いんじゃないですよ。
「できないこと」をコンプレックスに感じて、1人でもじもじしていることがかっこ悪いんですよ。
心斎橋のAppleストアに行ったことありますか?
Appleストアって、障害者が働いているの、ご存知ですか?
その時のタイミングによるかもしれませんが、普通に、手が変な位置に付いている人とか働いていますよ?
だからって、何か問題がありますか?
だからって、誰かが変な目で見ていますか?
全く、何も問題ないですよ。
多様性多様性と最近よく言いますが、本当の多様性ってなんなのでしょうか?
「今後はやっぱり多様性が大事な世の中だよね」と思うなら、まず「比較」をやめましょう。
Appleストアに行ってみてください。
ちょっと特徴のある人とコミュニケーションを取ってみてください。
そんなことにあれやこれやと感情を抱いている自分こそ最もイケてないですよ。
子供を他人の子と比べる前に、そんな自分を他人と比べた方がいいですね。
将来性しかない我が子を誰かと比較なんてするもんじゃないですよ。
失礼極まりないですね。
もう、ほんと、失礼ですよ!
感情的になってしまいました。笑
以上、以下内容が子育てにおいて不要なものでした。
べき論
●具体的には
①手作り料理
②テレビ
③比較
子育てに必要なものは体験=コト
モノよりコト、
モノは快楽
コトは充実
快楽は一瞬
充実は持続
快楽とセットなものは倦怠
充実とセットなものは活力
結局、人間が最終的に欲するものは「愛する人との体験であり、永続する想い出」であると思います。
だから、早目に、モノから離れた方がいいというのが僕の持論です。
親が発する言葉
子育ては「親が楽しい状態」であることが最も大事
本日のまとめ
べき論
●具体的には
①手作り料理
②テレビ
③比較
●必要なもの
①体験=コト
②親が発する良い言葉
③親が楽しい状態であること
終わり。
子育ては頑張らないことが大事です、子供が好きじゃなくても問題なし
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